大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌地方裁判所 平成11年(レ)146号 判決

控訴人

プロミス株式会社

右代表者代表取締役

神内博喜

右訴訟代理人弁護士

野田信彦

被控訴人

吉岡美由紀

右訴訟代理人弁護士

八幡敬一

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  控訴の趣旨

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人に対し、二〇万三四五二円及び内二〇万円に対する平成一〇年五月一二日から支払済みまで年29.2パーセントの割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被控訴人の知人であった池田明美(以下「池田」という。)が、被控訴人から借り受けた健康保険被保険者証(以下「保険証」という。)を用いて、控訴人から被控訴人の名義で金員を借り入れたところ、控訴人が、被控訴人に対し、①被控訴人は、池田の右借入れに同意していた、②池田の右借入れについて、民法一一〇条の規定が類推適用されるべきであると主張して、池田の借入れに係る貸金の返還を請求した事案である。

一  前提となる事実

1  被控訴人は、池田に対し、平成一〇年三月ころ、池田が被控訴人名義で携帯電話に関する契約を締結することを承諾し、このために、被控訴人の氏名が被扶養者氏名欄に記載された被控訴人の夫を被保険者とする保険証(以下「本件保険証」という。)を貸与した(甲五)。

2  池田は、そのころ、右1で借り受けた本件保険証を用いて、被控訴人の名義で、札幌信用金庫に預金口座を開設し、その後、右口座のキャッシュカード(以下「本件キャッシュカード」という。)も入手した(甲三、五)。

3  被控訴人は、池田が右2で預金口座を開設した後、池田から本件保険証の返還を受けたが、平成一〇年四月ころ、池田に対し、前記1の携帯電話に係る契約名義を被控訴人から池田に変更するため、この変更手続について被控訴人を代理する権限を与え、そのために本件保険証を再度貸与した(甲二、四、五)。

4  池田は、控訴人の岩見沢支店を訪れ、自動契約機を用いて、右3で借り受けた本件保険証及び前記2で入手した本件キャッシュカードを提示し、被控訴人の名義を用いて、消費者金融会社である控訴人との間で、平成一〇年四月六日、次の内容の金銭消費貸借基本契約(以下「本件基本契約」という。)を締結した(甲一〔ただし、甲五により池田が偽造した契約書と認める。〕、二ないし六、弁論の全趣旨)。

(一) 借主は、控訴人から、四〇万円の極度額の範囲内で反復継続して金員を借りることができる。

(二) 弁済方法 借入を行った翌日から三五日ごと(ただし、控訴人の休業日にあたる場合は翌営業日)に、残元金に応じて、次のとおり元利金を分割して支払う。

(1) 残元金五万円以下

二〇〇〇円以上

(2) 残元金五万円を超え、一〇万円以下 四〇〇〇円以上

(3) 残元金一〇万円を超え、一五万円以下 六〇〇〇円以上

(4) 残元金一五万円を超え、二〇万円以下 八〇〇〇円以上

(5) 残元金二〇万円を超え、三〇万円以下 一〇〇〇〇円以上

(6) 残元金三〇万円を超え、四〇万円以下 一二〇〇〇円以上

(三) 利息 年25.55パーセント(一年を三六五日とする日割計算)

(四) 遅延損害金 年29.2パーセント(一年を三六五日とする日割計算)

(五) 特約 借主が弁済を一度でも怠ったときは、当然に期限の利益を失い、残債務全額及び残元金に対する遅延損害金を直ちに支払う。

5  控訴人は、右同日、被控訴人の名義を用いている池田に対し、本件基本契約に基づいて、機械を介して二〇万円を交付した(甲五、弁論の全趣旨。右金員交付に係る貸付けを以下「本件貸付け」という。)。

6  本件貸付けの第一回目の弁済期日は平成一〇年五月一一日であったが、現在まで何らの弁済もされていない(甲四、弁論の全趣旨)。

本件貸付けについて、利息制限法所定の制限に従い、利息を年率一八パーセントとして計算すると、平成一〇年五月一一日までの利息は三四五二円となる。

二  争点

1  本件基本契約及び本件貸付けについての被控訴人の事前の同意の有無

(一) 控訴人の主張

被控訴人は、池田に対し、本件基本契約及び本件貸付け前に、本件保険証を貸与し、さらに、本件キャッシュカードを交付している。

また、被控訴人は、平成一〇年五月二六日、控訴人に対し、控訴人からの督促に応じて、本件貸付けの弁済として、その翌日に一万円を支払う旨述べている。

右の各事実によれば、被控訴人が、本件基本契約及び本件貸付けについて、事前に同意していたことは明らかである。

(二) 被控訴人の主張

被控訴人が、池田に対し、本件キャッシュカードを交付したことはなく、被控訴人が、本件基本契約及び本件貸付けについて、事前に同意したこともない。

2  本件基本契約及び本件貸付けについての表見代理の規定の類推適用の当否

(一) 控訴人の主張

(1) ある法律行為に民法一一〇条の表見代理の規定の適用ないし類推適用が認められるための要件は、①本人が、行為者に対し、何らかの法律行為を本人に代わって行うことを承諾していたこと(基本代理権の存在)、②行為の相手方において、行為者が行為権限を有するものと信じたこと、③行為の相手方が、②のように信じたことにつき正当な理由があることである。

(2)① 前記一3のとおり、被控訴人は池田に対して、代理権を与えているところ、前記一4及び5のとおり、池田は、右代理権を越え、被控訴人の名義を用いて、控訴人から金員を借り入れたものである。

② 控訴人は、前記一4及び5のとおり、本件保険証及び本件キャッシュカードを提示され、池田が被控訴人本人であると信用したものである。

③ 保険証は、一般に身分証明書類として広く通用しているもので、これが他人の手に渡ることによる危険は誰もが熟知しているのであるから、厳重に保管されているはずであり、盗難、紛失によって他人の手に渡ることがあるとしても、極めて希なことであるし、簡単に他人に貸すなどということは通常考えられない。また、金融機関のキャッシュカードは、通常名義人本人に書留郵便によって交付されるか、名義人の身分証明書類を確認して直接交付されるものであるから、他人に交付されるということは通常想定できない。したがって、控訴人が金融業者であることを考慮に入れたとしても、控訴人が、本件保険証及び本件キャッシュカードを所持していた池田を、その名義人である被控訴人本人であると信じたことに過失はない。

(3) 以上のとおり、本件基本契約の締結及び本件貸付けは、被控訴人が池田に基本代理権を与えていたところ、池田が、右代理権を越えて、被控訴人の名義を用いて行ったものであり、その際、控訴人は、池田が被控訴人本人であると過失なく信じたものであるから、本件基本契約の締結及び本件貸付けについては、民法一一〇条の表見代理の規定を類推適用するべきである。

(二) 被控訴人の主張

(1) ある法律行為に民法一一〇条の表見代理の規定の適用ないし類推適用が認められるための要件は、①本人が行為者に対し、何らかの法律行為を本人に代わって行うことを承諾していたこと、②本人が、行為者に対し、その行為を行うことを承諾したような外観が存在し、行為の相手方が、その外観を信用したこと、③行為の相手方が、②のように信じたことにつき正当な理由があることである。

(2)① 前記一3の権限付与と本件保険証の貸与は、池田による欺岡行為によってされたものであるから、これを表見代理の基礎として認めるべきではない。

② 池田が本件保険証を所持しているだけでは、被控訴人が、池田に対し、本件基本契約締結及び本件貸付けを行うことを承諾したかのような外観が存在するとはいい難い。本件キャッシュカードについても、これを池田が所持することについて被控訴人は関与していないから、被控訴人が承諾したかのような外観が存在するとはいい難い。

③ さらに、金融業者としては、契約の相手方が名義人本人であるかどうかについて調査するのは当然であるところ、控訴人が、何らの調査もせずに、本件保険証及び本件キャッシュカードを所持していたことのみをもって、池田を被控訴人と信じたことには過失がある。なお、被控訴人は、池田による欺岡行為によって保険証を貸与したのであるから、保険証を池田が所持するについても被控訴人に帰責事由はない。したがって、この点だけ見ても正当事由は存在しないというべきである。

(3) 以上のとおり、本件基本契約の締結及び本件貸付けについては、民法一一〇条の表見代理の規定を適用ないし類推適用する要件が満たされていないから、表見代理の規定を適用ないし類推適用することはできない。

第三  当裁判所の判断

一  争点1について

被控訴人が本件基本契約及び本件貸付けについて事前に同意していたとの控訴人の主張に沿う事情として、①池田が被控訴人名義の本件キャッシュカードを所持していたこと(前記第二の一3)、②被控訴人が池田に本件保険証を貸与していたこと(前記第二の一3)、③本件貸付け後、被控訴人が控訴人に対し、一万円を内払いすると述べたこと(甲四、五)が認められる。

しかしながら、右①については、一般に、金融機関は、その預金口座のキャッシュカードを、口座の名義人宛に郵送するか、身分証明書類によって名義人であることを確認した上で窓口に現われた者に交付するのが通常であるところ、池田は、前記第二の一3のとおり、預金口座を開設した後に、本件保険証を再び借り受けているのであるから、その機会に、これを用いて札幌信用金庫から本件キャッシュカードの交付を受けることは十分に可能というべきである。したがって、本件キャッシュカードを池田が所持していたことから、直ちに、被控訴人が、池田に対し、本件キャッシュカードを交付したものと推認することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

また、右②についても、そのことから、被控訴人が本件基本契約及び本件貸付けについて事前に同意していたと推認することができないことはいうまでもない。

さらに、右③についても、甲第四、五号証によれば、被控訴人が右発言に及んだ理由は、池田が、被控訴人に対し、借入れについては池田が後で支払うから立て替えて欲しい旨述べ、被控訴人がこれを了解したことに加え、池田が被控訴人の名義を用いて本件貸付けを受けたことについて、被控訴人がその夫に秘して被控訴人限りで処理をしようと考えたことによると認めることができるから、被控訴人の控訴人に対する前記発言をもって、被控訴人が、本件基本契約及び本件貸付けについて事前に同意していたと推認するには足りないものというべきである。

そして、他に、被控訴人が、本件基本契約及び本件貸付けについて、事前に同意していたことを認めるに足りる証拠はない。

よって、争点1についての控訴人の主張は理由がない。

二  争点2について

1 代理人が本人の名義を用いて代理権を越える法律行為をした場合において、行為の相手方がその行為を本人自身の行為であると信頼したときには、その信頼を取引上保護すべきことは、代理行為を代理権の範囲内の行為であると信頼したときと異なるところはないから、行為の相手方がその行為を本人自身の行為であると信じたことについて正当な理由がある場合には、民法一一〇条の規定を類推適用して、本人が代理人の行為の責に任ずるものと解するのが相当である(被控訴人は、本人が行為者に対してその行為を行うことを承諾したような外観が存在することが必要である旨主張するが、民法一一〇条においても右のような要件は要求されておらず、右は正当な理由の判断において考慮すれば足りると考えられるから、被控訴人の右主張は採用することができない。)。

これを本件について見るに、前記第二の一3のとおり、被控訴人は、池田に対し、平成一〇年四月ころ、被控訴人名義であった携帯電話の契約名義を池田に変更することを承諾し、この変更手続について被控訴人を代理する権限を与え、本件保険証を貸与したのであるから、被控訴人は池田に対し、代理権を与えたものと認めることができる。被控訴人は、右の代理権の授与は池田の欺罔によるものであるから、表見代理の規定の類推適用の基礎とすべきではないと主張するが、池田に真に携帯電話の名義変更手続をする意思があったか否かはともかく、被控訴人は、池田において右名義変更手続を行うことを容認し、池田にその権限を与えたのであるから、被控訴人の右主張は採用することができない。

そして、原審証人内藤正剛の証言を記載した甲第六号証によれば、池田が、控訴人に対し、本件保険証及び本件キャッシュカードを提示して、被控訴人の名義を用いたため、控訴人は、池田を被控訴人本人であると信じて、本件基本契約及び本件貸付けを行ったものと認めることができる。

2 進んで、控訴人が右のように信じたことに正当な理由があるか否かについて判断する。

一般に、保険証は、自動車運転免許証や旅券などを所持しない者であっても利用することができる身分証明書類として、広く用いられていることは公知の事実である

これに対し、金融機関のキャッシュカードは、前記一で述べたとおり、預金口座名義人の保険証を所持していれば入手することができると考えられるものであり、預金口座は保険証に記載されている名義で開設することができるから、保険証に加えてキャッシュカードを所持しているからといって、直ちに保険証のみを所持している場合に比して、所持者が名義人本人であるとの信頼を格段に高めるものと解することはできない。

そこで、控訴人が、池田から本件保険証及びキャッシュカードを提示されたために池田を被控訴人本人であると信じたことに正当な理由があるか否かについて検討するに、保険証には、関係者の写真は全く貼付されていないから、名義人本人の写真が貼付されている自動車運転免許証や旅券に比べると、身分証明の確実性が劣るものといわざるを得ない。もっとも、自動車運転免許証や旅券は誰もが所持しているものではなく、そのような場合の身分証明書類としては保険証が広く用いられるようになってきており、また、その性質上、軽々に他人に貸与したりするものではないと考えられることに鑑みれば、保険証を所持する者がその名義人であると称したときに、これを信用することも、保険証の記載事項とその所持者の性別、年齢等との間に矛盾が認められない限り、あながち理由がないとはいい難い。

しかしながら、一般に、本人と称する者が本人の名の記載された保険証を所持している場合に、それが本人確認の資料として、取引上強い証明力を有していると考えられる登録印鑑や印鑑証明の所持の場合と比べて、同程度の証明力を有するものであると認識されているとまでは認め難いところであり、また、近時、他人名義の保険証を用い、保険証の名義人を装って消費者金融会社から金員を借り入れるといった保険証を悪用した信用取引の事例が増加していることは公知の事実である。したがって、こうした事情に鑑みれば、保険証やキャッシュカードのような関係者の写真が貼付されていない書類を身分証明書類として提示され、金員の借入れを申し込まれた場合には、少なくとも貸金を業とする消費者金融会社としては、登録印鑑及び印鑑証明その他提示された身分証明書類を用いただけでは容易に入手できないような別個の身分証明書類の提出を求め、また、借入れ申込人本人や家族の生年月日等、本人であれば即座に答えられるような質問をしてその言動に不審な点がないかどうかを確認したり、借入れ申込人の自宅や就業場所に電話をして本人が不在であることを確認するなどの本人確認のための補充的方法を尽くし、借入れ申込人が身分証明書類の関係者本人であることの確実性を高めるように努めた場合に初めて、その者が本人であると信じるについて正当な理由があると解することができるというべきである(なお、右のように解すると、本件のような機械を用いた金員貸付けの方法による場合には、本人確認の方法が限局される結果、表見代理の適用を受けることが困難となる事態が増加することも考えられるが、それは、専ら貸付側の営業方法に由来するものであって、それによる危険は貸付側が負担すべきものとしても、不当とはいい難いものというべきである。)。

これを本件について見るに、前記第二の一4のとおり、控訴人は消費者金融会社であるところ、甲第六号証及び弁論の全趣旨によれば、控訴人は、本件基本契約締結及び金員交付に際し、その従業員が自動契約機に付けられたカメラを介して池田の顔を確認し、池田が提示した本件保険証及び本件キャッシュカードと契約締結申込書類の照合をしたものの、それ以上の本人確認の措置を講じていないことが認められる。したがって、控訴人が、右の本人確認のみをもって、池田を控訴人本人であると信じたことには正当な理由があるということはできない。

3  以上のとおり、本件基本契約及び本件貸付けについて、民法一一〇条の表見代理の規定を類推適用することはできないから、争点2についての控訴人の主張は理由がない。

三  以上の認定判断によれば、他に特段の主張のない本件においては、控訴人の本件請求は理由がなく、これを棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がない。よって、本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法六一条及び六七条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・佐藤陽一、裁判官・村田龍平、裁判官・守山修生)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例